信越
巨匠Hi-seeからの誘い、信越
初めての総合ビデオ
横乗りフォトグラファー、巨匠Hi-seeに、ビデオを一緒に作らないかと誘われた。それがこのあと続くシリーズ3部作の始まり。
元々Hi-seeさんはYGFのDVDジャケットやアメリカでの撮影、ストリートレールの撮影など
現場でよく会ってはいたもののライダーからHi-seeさんに撮影を頼んでいたのでその時僕は、Hi-seeさんがどんな人でどんな活動をしているのかよく知らなかった。ただ、YGFと一緒に居てくれる写真家というイメージだった。しかし、このビデオシリーズで一緒に行動し、僕のイメージは完全に間違っていたと気づく。根気と深い経験。僕が、まったく足下にも及ばない写真家だった。
ビデオ造りにあったって、最初にHi-seeさんから聞いた言葉は『ビデオを作るために、写真ばかりではなくビデオも回すので、そんなに負担はかからない』という事だった。メインのYGFに支障がないていどなら大丈夫と、この依頼を引き受けた。このビデオに参加したことによって、この後いろんな人に出会い、スノーボードに対する価値観が変わっていった。俗に言うターニングポイントだったと今は思っている。ただこの時はそんな事全く考えもしなかった。
この年、日本は記録的な大雪だった。2月の頭に、初めてHi-seeさんと新雪のライディング撮影に行った。この時撮影したライダーは、田畑将彦君と小林修也君だった。ツリーランでの、Hi-seeさん達の撮影の仕方は、今までの撮影とは全く違っていた。今までの自分たちのキッカー・レールの撮影は、撮影場所を十分見てアングルを決めて撮影をするので、よく考えた上で撮影が出来る。しかし、ツリーランの場合、滑っている途中に林の中で止まり撮影する。まず、木が多い場所で、景色の抜けている所を探しライダーが滑るライン上に自分のラインをつけずに撮影場所まで移動。そして自分とライダーの安全を確保しつつ撮影しないといけない。山の中での怪我は絶対的にさける事が優先される。安全第一である。瞬間的にこの二つの事を同時にしないといけない。ポイントは次から次にどんどん出てくる。今までよりも自分の滑りの技術が、もろに映像の善し悪しに繋がってくる。滑れなければポイントが悪くてもそこで撮影するしかない。最初の頃は何度も木に引っかかっては転げていた。ツリーランの撮影は、今までの撮影方法よりもとても難しい。
編集期間は3週間。
信越の編集時間は、全くと言っていいほどなかった。締め切りは3週間後。5月に立山へ撮影に行った時、予告編を作るために山小屋にまでパソコンを持っていった。更に使用した曲は今までとは違う曲調。どこで映像を切っていいのか悩んだ。色々悩みはしたが出来ない事は出来ないので、今までのYGFで培ったものを信じて編集に挑んだ。それが良かったのか、信越は面白いビデオに仕上がった。
今の自分が編集したら、また違ったものになると思う。ライダー遊び方も理解していなかったし、誰が誰だかもよく分からないまま編集。この頃の自分だから出来た作品だと思う。
信越の見所
この作品の見所は、ラストパートのGREEN.LAB東北の旅。いつもは風が強いポイントらしいがこの撮影の時ぴたりとやんだ。絶好の天気。THE DAYだ。初めて撮るマウンテンライドと、目の前にしたすばらしき景色。この斜面を撮影したとき、どう考えてもこのビデオのハイライトになる事は間違いなかった。そして僕の今までの日本のイメージとスノーボード感が変わった。日本の雪山ははすばらしいと素直に思える出来事だった。
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